備中漆の歴史は古く、国宝に指定されている13世紀頃の京都東寺に伝わる古文書「東寺百合文書」の中に、東寺の庄園であった新見庄(現岡山県新見市)から納められた漆の数量が詳細に記されております。その伝統は代々引き継がれ、昭和30年代に新成羽川ダムの建設が始まるまでは、年間約3千㎏の漆が採取されておりました。ダム工事が進むにつれて漆畑は水没し、漆掻きをする人も土地を離れ、備中漆は衰退の一途をたどることになり、遂にはただ一人の漆掻きによって、かろうじて伝統が守られていました。